エフ流言研究室

自称詩人・流言研究家・IT Editorが自由気ままに書き綴る。

次の季節へ

正に冬真っ只中。1月の風は冷たい。ベランダのブルーベリーはほとんど葉を落としてしまったが、枝の先には春に向けて芽が少しづつ大きくなってきている。常に1つ先の季節はその存在を静かに誇示している。小さな変化に気付ける感性を常に持っていたいものだ。

所属変われば立場変わる

 会社という組織の中で、所属する部門が変われば自分の立ち位置も変わる。私は、大学卒業以来、某IT企業に勤めている。転職の経験はない。私は新人の頃、とある現場部門にいて、その後、某有名企業に出向し、また現場に戻ってきて、週の半分は客先にいた。その後、真逆の本社管理部門(経営企画)に長く在籍して、ある日突然、全く違う分野の現場に異動し、一旦、本社に戻った後、また、客先(某有名企業)に常駐している。転職経験はないが、出向やら客先常駐やら、管理部門やらと、他の同期に比べれば、波乱万丈な職務経験と言えるかもしれない。

 そんな多岐に渡る部門、業務、プロジェクトに参画した経験から学んだことは、所属するユニット(部門、グループ、チーム)によって、自分の立場が変わるということだ。これは、肩書や職務による立場の変化という意味ではない。チームのまとめ役、ムードメーカー、サポーター、ご意見番いじられキャラ、異端児、問題児、等、ユニット内の人間関係で大きく変わってくる。果たして自分の立場はどれに該当するのか?それは自分が望む立ち位置なのか?等、自問しながら、目指す立場に収まるべく、努力することが大切なのではないかと考えている。

藤原伊織さん

 藤原伊織さんは、1996年に「テロリストのパラソル」で直木賞を受賞した。私が最も敬愛する作家である。私と共通の知人もいるが、直接の面識はなかった。2007年に亡くなられたのが残念でならない。

 藤原さんの作品の素晴らしさは、ストーリーの良さもあるが、何といっても品のある文章である。作品の多くはハードボイルドというジャンルに分類されているが、デビュー作の「ダックスフントのワープ」は、ファンタジーでありながら、純文学でもある。また、ストーリーと登場人物たちの洒落た会話で読者を引き込みながらも、心理描写や情景描写も美しい。現実世界では知的な言葉の応報に基づく会話はあまり存在しない。そういった意味では、藤原さんの作品は現実離れしているとも言えるが、少なくとも私は小説・文学作品に忠実な現実性を求めているわけではない。私が求めているのは、芸術性のようなものだ。

隙間風の来訪

 緊急事態宣言が出て、街の静寂は早く訪れるようになった。車通りも普段より若干少ないように感じる。もしも、私が独りぼっちならば、孤独と不安に怯えているであろう。こんな時は、家族(パートナー)に感謝したくなる。今夜は時々突風が吹き抜けて、玄関ドアの隙間風が廊下を通り、リビングのドアを揺らして、窓を揺らす。どんなに閉じ籠っても、物理的な意味でも世界と繋がっている。私も貴方も独りじゃない。

家では走り回らないこと

 生まれてから、今まで一軒家に住んだことがない。ずっと、マンションである。転勤族で、西は三重県、北は宮城県に住んだことがある。子供の頃から、マンション暮らしであるため、騒音に関しては、親から注意を受けた。そのため、家では走り回ったりしない。これは常識、マナーとして幼い頃から私に植え付けられている。

 現在、私の住むマンションの上階では、どうやら子供が走り回っているらしい。正直、勘弁してほしい。ところが、私の家の上階に子供はいない。高齢の方が住んでいるはずだ。では、何故か?孫でも遊びにきているのか?確認したところ、それもどうやら違うらしい。事実は、2つ上の階の部屋で子供が暴れまわっているということであった。毎日、決まった時間に騒音を立てる。間接的に既に何回か注意しているのだが、一旦改善しても、1か月経つとまた、騒音を出すの繰り返しである。

 コロナ禍で在宅勤務が増えて、昼間の騒音は困る。夜のリラックスしたい時間の騒音も困る。朝の気合を入れる時間の騒音も困る。生憎、子供が走り回ることに対して、寛容になれるほど、人間性が優れていない私は、無駄に自己嫌悪と騒音のストレスに神経をすり減らしている。

仕事量とその対価

 仕事はこなした量に比例して対価である給料を貰えるわけではない。そこには、質という要素が介在する。また、所属する組織・会社全体の収益に応じて、対価は変動する。残念ながら、努力した分だけの対価が貰えるような単純な世の中ではない。しかし、諦めて何もしなければ、可能性僅かな幸運が転がり込んでこない限り、対価は変わらないであろう。どんなに小さなことでも良い、望む事態を、未来を良い方向に変えたいなら、考えて動かなければならない。「今から動け!」そう日々、私は私を叱咤する。

衛生管理

 貝原益軒の養生訓は、江戸時代に流行った健康本である。養生訓の中では、身の周りの環境を清潔に保つこと、掃除することの重要性を掲げている。また、養生訓では、掃除をすることは、良い運動になるし、心を落ち着かせる効果もあるとも言っている。

 先月、我が家でも新しいコードレス掃除機を購入した。ちょっと気になった時に、さっと掃除機をかけられるように、使い勝手と性能が良いものを少し奮発して高い掃除機(ダイソン)を買った。こまめに掃除機をかける習慣がついてきた。

 衛生環境に気を遣うことは病気予防にも、心身の健康にも役立つ。これは日々の積み重ねであるから、すぐには効果を実感できないかもしれない。しかし、掃除をすると何となく、すぐに気分が良くなる。リモートワークの気分転換に最適だ。

 私は、数年前から職場の衛生管理者を担当している。衛生管理者になるためには資格を取得する必要がある(私の場合、第二種衛生管理者資格)。日頃から職場環境に気を配り、改善点を考えることが衛生管理者には求められる。コロナ禍の現在、今まで地味な存在であった衛生管理者が果たすべき役割の重要性は高まっていくであろう。

養生訓 (講談社学術文庫)