オカルト
私はオカルト的な事象をある意味信じてはいない。しかし、否定しようとは思わない。人知の及ばない領域で何かが起きている可能性があるからだ。オカルティズムは科学の範疇に入る可能性を秘めている。私はオカルト、特に幽霊系の話が好きだ。今のところ出版されている竹書房版の「超」怖い話シリーズを全て持っている。あまり人には話したことがないが、これも私の趣味の1つと言わざるを得ない。
しかし、全てをオカルティズムで解釈・解決を図ろうとする立場に、私は嫌悪感を抱く。理性で物事を解釈しなければ、有効な解決策に辿り着けない。例え、何かを解釈する際、途中にブラックボックスが立ち塞がったとしても、逃げてはならない。迂回してでも理性を保ち、ブラックボックスの向こう側にあるゴールまで歩み続けることが大切であると私は考えている。
ヒヨドリと見つめ合う
ある晴れた午前、ベランダにやってきた君は僕と見つめ合う。
暫くして慌てて、飛び立つ君の名前を僕は知らない。
でも、噂で聞いたところによれば、君はヒヨドリという生物学的名前を持っているらしい。
「ドリ」が生物学的分類の「鳥類」を意味するならば、君の本当の名前は「ヒヨ」なのだろうか。
つまり、「ヒト」と「ヒヨ」が見つめ合っていたということなのかもしれないね。
ふと、そんな一人語り。平和だ。
職業に貴賎なし
訳あって、自分の仕事に関して、自分自身を振り返っている。所謂、自己分析に近いかもしれない。自分の仕事におけるポリシーは何か?これは人生観ともリンクする。きっかけが無ければ、なかなか自分の仕事観、職業観を考えてみる機会はない。
基本的には、仕事、職業に貴賎はないと私は考えている。但し、どのような仕事でも、プロと素人は存在する。プロとして仕事をすること。そうでなければ、対価を受け取るに値しない。プロとして、仕事をするということ。それが重要である。最低限の倫理観を持ち、顧客が少しでも幸福になるサービスを提供できれば、それがプロであるか否かの判断基準の1つであると私は考えている。
ブックカバーコレクター
ブックカバーが好きだ。本を買った時に付けてくれる紙のブックカバーではない。本革や帆布素材のブックカバーだ。常に10冊程度を平行読みしているのだが、新書サイズと文庫サイズのものについては必ず本革のブックカバーを付けて読んでいる。本革は使い続けると良い色合いに変色してゆく。その変化も楽しい。牛、豚、羊、鹿と様々な動物のブックカバーを使っているが、素材や加工方法によって、硬さや手触りが全く異なる。ブックカバーが好きである故に、電子書籍にはまだ手を出していない。