四条エイジ随筆選

詩人・流言研究家・IT Editor・ITコンサルタント・コンプライアンスオフィサーが自由気ままに書き綴る随筆選。

ゼミの仲間たち

 ふと、机の奥から懐かしい写真が出てきた。大学時代の写真、ゼミの仲間の写真だ。集合写真やゼミの時の写真。皆、素敵な笑顔ではっとした。最新こんな笑顔で笑えているであろうか。皆、今頃何をしているのだろうか。幸せに生きているのであろうか。連絡を取っていない仲間の現在が気になる。そんなわけで試しにネットで検索してみたら、何人かの現在が明らかになった。会社を経営していたり、官僚になっていたり、公認会計士になっていたり、大学の准教授になっていたり。社会で活躍しているようだ。ネット検索でヒットするのはある意味、社会的に成功している人たちだ。私のように、検索しても、すぐに見つけることができない人の方が多いだろう。人との比較で幸福度や成功度は図ることはできない。誰かに伝えることができなくても、私はここで幸福に生活している。静かにつぶやき、ウィンドウを閉じる。いつか人生の道で交わった時に、笑顔で近況を語れる時が来たら幸せだ。

確率の中を生きる

 全ての事象には発生確率が存在する。僅かな確率に賭けて、幸福の訪れを期待することも、僅かな確率の不幸に怯えて、委縮してしまうのも、愚の極みである。確率の支配する世界でクールに生きることができれば、現実に向かい、現実的な努力をして、あとは天に任せることができる。まさに人事を尽くして天命を待つ。幸福はその繰り返しの中に存在するのではないか。私はそう思う。

雑談の時間

 在宅勤務で仕事中の雑談が減った。これは無駄な時間が削減されて、仕事効率が上がったと言って良いのだろうか。私はそう思わない。雑談にはリフレッシュ効果と仕事で蓄積されたストレスや不安を和らげる効果があると私は考えている。雑談の減少だけが原因ではないが、最近、私自身の精神状況はかなり悪いと言える。精神的な弱さを公表して、繊細な人間性をアピールする人間に、私はひどく嫌悪感を抱いている。むしろ心身共に強くなければ、創造的にはなれないと私は考えている。雑談でも何でも良い。何とかして、心を正常な位置に戻してみせる。

激務の定義

 忙しさの感じ方や定義は難しい。ある人にとって月40時間の残業は少ないと感じるし、ある人にとっては非常に多く辛いと感じるかもしれない。また、やるべきタスクが3つ以上平行してあるという状態が普通と感じる人と多忙過ぎであると感じる人がいて、単純に仕事量で激務か否かは判断できない。しかし、判断基準はある。ある人の仕事をWBSで管理した場合、タスクが計画比で遅延しているならば、それは多忙な状態にある可能性が高いといえる。その場合は、計画の見直し必要である。単純にリスケするか、担当者割りを見直すか等、より最適解を検討することで、激務を乗り切らなければならない。働く者は日々戦っているのだ。

尖る

良い意味で空気を読めるようになった。そして、悪い意味で空気を読むようになった。誰かに媚びてしまうことに嫌気がさす。誰かが好みそうな発言をして、選択をして。自分の想いや考えを犠牲にしている。まだまだ尖っていたい。だから、まだまだ嫌われる心構えはできている。

不可域に思う

 自分の力が及ばないところで物事が決まり、そのレールの上に載せられる。別れや出会いが強制されて、いつだって心が落ち着かない。時々、どうしようもないくらいの無力感に苛まれて、贅沢な絶望感を味わう。涙なんて許される年齢でもないから、隠れて涙する。強く生きるだけの経験値と覚悟は心の奥に備えているが、それでも想定外の出来事に途方に暮れる日もある。次々と壁が立ちはだかる。もっと強くなりたい。

災害の度に

災害が起きる。そして、またデマが流れる。災害時のデマは生命や財産の損失に影響を与える可能性がある危険なものだ。デマを流す者、中継する者に悪意はないかもしれない。(むしろ正義感から情報を拡散させる)しかし、安易に情報を拡散してはならない。そして、情報を受け取る者は情報源をしっかりと確認して、情報の正しさを検討する必要がある。